2009年11月13日金曜日

半田晴久さん@フィランスロピーシニアトーナメント

「Handa Cup フィランスロピーシニアトーナメント」 が今年も、非常に盛り上がりを見せているようです。



半田晴久(深見東州)さんが会長をつとめておられる、一般社団法人 国際スポーツ振興協会(ISPS)ではゴルフを始めとするさまざまな大会を協賛しています。



今年の「Handa Cup フィランスロピーシニアトーナメント」には、メジャー優勝者のイアン・ウーズナム、サンディ・ライルをはじめ、サム・トーランス、ウェイン・グラディなど、世界の強豪が招待されています。



男子シニアの三大公式戦のひとつ、フィランスロピートーナメントも、スポンサーがいなくなり、試合がなくなりかけた時期があります。ところが、国際スポーツ振興協会が一億円という最高の賞金大会を主催してから、賞金総額や試合数が増え、2年間で、3試合から9試合に増えたのです。



半田晴久氏は、盲人ゴルフの父でもあります。

近年、ゴルフはオリンピック種目に採用されましたが、パラリンピックにぜひ、ブラインドゴルフが採用され、ブラインドゴルファーが、金メダルをとる日を夢見ておられるということです。


2009年11月5日木曜日

半田晴久さん@日本国際フォーラム「北方領土返還要求堅持を求める提言」

 半田晴久氏は、4月30日にも、伊藤憲一氏が代表を務める日本国際フォーラムの「北方四島返還要求の堅持」を求める提言に署名されております。



その後、MXテレビで、北方領土返還について、見識のある発言をされておりました。



多方面で博識な方であるとしみじみ思います。




2009年11月3日火曜日

半田晴久さん@人権問題への取り組み・オーストラリア

半田晴久(深見東州)氏はオーストラリアでの人権教育にも力を入れています。



幸せの基準は人によって違いますが、少なくとも人権がある程度保障されていることは、人間としての幸せの最低基準を保証することにつながります。そこで、人権教育を進めるために、半田氏が代表を務める団体では、西オーストラリア州立カーテン工科大学に、人権教育のチェア(講座)を開設しました。これは、まさにオーストラリアでは初の試みでありました。おそらく、南半球でも初のことであり、世界でも類を見ないものと言われております。

オーストラリアでは、人権問題は政治団体と結びつきやすいため、人権教育の国家レベルでの教育が遅れており、政治的に中立を保つこのチェアの開設は、非常な注目を集めています。

チェア開設を支援した団体の代表である半田氏は、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「 Citizen of Humanity 」(国際名誉市民)の称号を後に授与され、オーストラリアの国家レベルでの人権委員会のコミッティーにも選ばれています。


2009年10月22日木曜日

半田晴久さん@日本国際フォーラム

半田晴久(深見東州)氏は、伊藤憲一理事長を中心とする、日本国際フォーラムでの活動にも賛同されています。



日米同盟の信頼性は、明日の日本を左右するといっても過言ではないと思います。



こうあるべきだという議論はいくつもあることでしょうが、実情として、現在、いかなる状況であるのかを考えていかなくてはなりません。



与野党逆転した政権交代時に、日本外交の根幹である「日米同盟のあり方」を問うというのは、非常に意義深い活動であると思います。


2009年10月21日水曜日

半田晴久さん@芸術

半田晴久(深見東州)氏は、21世紀の文明や文化は、芸術、宗教、福祉、経済、政治などの枠や壁を越えたものであるとおっしゃっています。特に現代は経済の時代であり、近年は日本でも企業による芸術、文化の支援活動であるメセナが盛んになってきました。半田晴久氏も一経済人としての活動を行うかたわら、経済、芸術、福祉、宗教、政治というジャンルの壁を超えた福祉文化の創造に貢献できるよう多くの支援活動を行っておられます。



日本に、今日、芸術としての能楽があるのは、世阿弥という大成者がいたからですが、その背景をたどれば、将軍・足利義満が世阿弥を見出し、評価し、庇護したからであります。



一方、ヨーロッパにおいても、ルネサンスはメディチ家、フッガー家などの庇護者のもとで大きく花ひらきました。これらの歴史的事実が物語るのは、芸術文化が見出され庇護されていくには、それを見出す目と大切に思う心が必要であるということです。



そのために半田晴久氏は自ら能楽を学び、現在では宝生流能楽師師範の資格をとり、宝生東州会会主を務めておられます。そして、能楽を深く学んだことで、そこから派生した日本の伝統芸能、歌舞伎や日舞や小鼓、大鼓、太鼓、笛などの良さも、より深く解せるようになりました。またオペラに関しては、本業の合間をぬって武蔵野音楽大学特修科(マスターコース)を卒業し、さらに、現在西オーストラリア州立エディス・コーエン大学の大学院に在学し、創造芸術修士号取得のため、飛行機で通学しているそうです。



半田晴久氏は、バレエも42歳から始めましたが、自ら学び、踊ってみて、はじめて真に素晴らしいものの価値が実感できるようになったといいます。書や日本画や陶芸がわかると、茶道が真に楽しめる。また作曲、指揮などがわかってくると、オペラやオーケストラなどの西洋音楽芸術が真に楽しめ、真に感動できるようになるといいます。その為に、半田晴久氏は研鑽をしているのです。やってはじめて本当の良さや難しさがわかる。そして、その芸術を深く鑑賞したり、巨匠の値打ちがわかるようになる。これが、個人における本当の文化であると考えておられるそうです。




2009年10月15日木曜日

半田晴久さん@東京大薪能〜能楽師として、日本の伝統芸能の伝道師として

半田晴久(深見東州)氏が代表を務める特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会(IFAC)では、毎年秋に「東京大薪能」(後援・カンボジア王国政府、東京都、MXテレビ、産経新聞など)を主催し、誰でも無料で能楽を鑑賞できる機会を設けており、東京の秋の風物詩として定着しています。



またIFACでは、能楽の国内及び海外普及にも寄与。イギリス演能旅行、中国演能旅行、米国のメトロポリタン美術館能や国連薪能、北京大学能など、米国演能旅行、中国演能旅行、また、エジプトのスフィンクス薪能、カンボジアのアンコールワット薪能等を主催しています。同協会の会長である半田晴久氏は、自らも宝生流に属する能楽師として出演しています。





その他、半田氏は、若い世代の弟子への能楽の普及のために、宝生東州会会主として、1500人の弟子を若き能楽師とともに指導しています。また、プロの若手能楽師の育成にも、力を注いでいます。



【半田晴久氏〜能楽師プロフィール】



能楽を同志社大学能楽部宝生会にて柏原仁兵衛及び辰巳孝に師事。森田流笛を貞光義次、寺井啓之、帆足正規に師事。一噌流笛を藤田次郎に師事。幸流小鼓を幸信吾に師事。1972年初舞台『鶴亀』仕舞。1996年初シテ能『猩々』。1999年国立能楽堂にて『石橋』披演、2000年国立能楽堂にて『乱』を披演。2001年『石橋』(連獅子)披演。



2002年『翁』披演。東京都庁都民広場などに於いて開催される「東京大薪能」にて毎年演ず。能楽の国内及び海外普及に寄与し、イギリス演能旅行、中国演能旅行、米国のメトロポリタン美術館能や国連薪能、北京大学能など、米国演能旅行、中国演能旅行、また、エジプトのスフィンクス薪能、カンボジアのアンコールワット薪能等を主催し、自らも演能す。今までに43度の能のシテを演ず。10年間で43度のシテは、年間平均4.3度になり、宝生流でベスト10に入る。

宝生流能楽師、社団法人能楽協会会員。宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。






2009年10月11日日曜日

半田晴久さん@盲人ゴルフの理念

半田晴久(深見東州)氏は、福祉活動とは、障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いであると考えています。盲人福祉において、ただ救いの手をさしのべるのではなく、『日本盲人職能開発センター』に盲人用の文字読み取り機や専用ワープロを寄贈するという形で、盲人の社会参加のお手伝いをすることから、活動が始まったそうです。『盲人ゴルフ』の底流を流れる考えも、これと同じです。盲人ゴルフはボラティアの存在を除いて、そのプレーは健常者とまったく同じルールで行われます。そこには積極的にスポーツを楽しもうとする障害者の方々の、すがすがしい感動があるのです。



半田晴久氏が盲人ゴルフ(視覚障害者によるゴルフ)に出会ったのは今から10年以上前のことになります。オーストラリアでその先駆者であるロン・アンダーソン氏(視覚障害者)と出会い、ゴルフを通じて彼の人柄やプレーに感銘を受けたのが最初のことでした。



盲人ゴルフは、新しい時代の真の福祉活動のあり方を示唆しています。いずれも究極の理想である人間愛の尊さに帰結します。




1.視覚障害者がハイクオリティ・オブ・ライフを享受しつつ、明るく発展的な行き方を可能性にする多くのチャンスを得ることができる。



2.盲人ゴルファーは、最大限自分ですべてのアクションを処理するよう意義づけられている。 晴眼者(健常者)のボランティア活動が奉仕者自身の精神的、かつ肉体的向上につながる。



3.盲人ゴルフという具体的なスポーツを共有体験することによって、障害者の自己表現の手助けをし、真実の福祉や公共性・教育性・文化性・国際性などをふまえた新しい時代の福祉の理想を実現することができる。





全米盲人ゴルフ協会が1937年に設立されて以来、現在、英国盲人ゴルフ協会(イングランド盲人ゴルフ協会、スコットランド盲人ゴルフ協会、北アイルランド盲人ゴルフ協会)、オーストラリア盲人ゴルフ協会、カナダ盲人ゴルフ協会、日本盲人ゴルフ協会と多くの盲人ゴルフ協会が設立され、それらが一堂に会しての『世界盲人ゴルフ選手権』が開催され、世界的な運営推進のために「世界盲人ゴルフ協会」が設立されています。ボランティア自らの豊かさ・人間的向上はもとより、ゴルフというスポーツを通じて視覚障害者との明るく、楽しい交流を図ることができ、また、ハンディキャップを背負った人々の生活体験領域を広げるという社会的意義も大きく、盲人ゴルフは今ますます大きな注目を浴びているのです。


2009年10月10日土曜日

半田晴久さん@カンボジアでの人権教育振興

半田晴久(深見東州)さんが会長を務める、NPO法人 世界芸術文化振興協会(IFAC)では、カンボジア大学に人権教育のチェア(講座)を開設しました。



カンボジアでは、ポルポトの内戦によって300万人の国民が虐殺されたと言われます。このような虐殺が二度と起きないよう、カンボジアでは、特に人権委員会の設置と人権教育の確立が必要です。



そこで、国家レベルでの人権教育を推進するために、IFACの支援により、深見東州先生が総長を務めるカンボジア大学に、アジア初の人権教育のチェアが新 設されたのです。また、現在この大学が中心となって、人権の国際会議が開かれ、また、カンボジアの国家レベルの人権委員会が設立される予定です。



半田晴久さん@福祉実践家の原点となる福祉で大切な三つの理念

半田晴久(深見東州)氏は、福祉について、三つの事を大切にしていると、常々からおっしゃっています。

第一に『福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いである』ということです。盲人ゴルフを例に取ると、まずゴルフという競技があり、健常者とほとんど同じルールの下で、目の不自由を克服してゴルフをやり、交流し、新しい生きがいを得ようとする人々がいます。一方、学校建設を例に取ると、学校に行きたいのに学校がないとか、あるいは、学力は優秀なのに進学できない子供たちが、中国には大勢います。だから、そういう人たちの自己実現の手助けのために、盲人ゴルフ倶楽部を作り、学校建設や進学の援助をしているのです。そこにあるのは、親切の押し売りやお節介ではありません。まさに、積極的に困窮を克服し、自分の魂が現実の困難をバネにして、自己実現しようとするためのお手伝いなのです。



第二に『民間がやるべき福祉とは何か』ということです。民間人が行う福祉の規模は、決して大きくはありません。アフリカ問題などは、大きすぎて民間人の身の丈には合わず、今のところ官公庁にお任せするほかありません。あるいは、その大問題を小さく別けて、自分に合ったものをやる縁やチャンスにまだめぐり合わないのです。つまり、民間の福祉が効を奏する条件は、規模が大きすぎず、その成果を目の当たりにでき、しかもそれがユニークなものであるということです。すなわち、福祉を行うことの喜びを、身をもって感じられる事が大切だと考えているのです。そうでなければ、決して永続きはしません。また、ユニークな民間の福祉活動が永続きし、大きな成果が上がったら、はじめて官公庁が動いて大規模な活動になります。これが民間の福祉活動の役割ではないかとおっしゃています。



 第三に『福祉を通じて心の交流をする』という点です。福祉とは、決してお金だけ出して終わりというものではありません。半田晴久氏は必ずその場に赴いて、人々や子どもたちの手を取り、ともに歌を歌い、触れ合うことで心の交流を図っています。心の通う福祉こそが、本当に生きた福祉だと思うからです。



こうして、肌の色や国籍、宗教などの違いを超えて、心のこもった助け合いを実現することを、半田氏は、福祉実践家として一番心掛けているそうです。以上の三つが、半田氏の福祉活動の原点であり、理念でもあるのです。







2009年10月9日金曜日

半田晴久さん@ボウリング公式戦開催

以前は国内に3,000あったボウリング場は、今は1,000ヶ所に減りました。また、プロボウラーは一生懸命で、謙虚でマナーがしっかりしてる人が多いのです。しかし、最近は、スポンサーとなって支援する企業が、ほとんどありません。日本のボウリング人口は20%あり、13.8%のゴルフ人口より、多いのです。公式戦を行なうには、スポンサーが必要です。しかし、スポンサーシップはビジネスとしてメリットがないため、企業スポンサーがつかないのが現状です。



半田晴久(深見東州)さんは、公式戦がなくなるとプロボウラーが育たず、日本オオカミやトキのように、将来絶滅する可能性もあると考えました。特に、女子シニアボウリングは、誰もか えりみない分野です。そこで、公益活動としてボウリング界を支えるために、国際スポーツ振興協会(ISPS)では、2007年から、ボウリングの男子と女子の公式戦を支援することになりました。女子シニアトーナメントの支援もしているそうです。

2009年10月8日木曜日

半田晴久さん@PGA・Handa Cup フィランスロピー シニアトーナメント

2007年、日本プロゴルフ協会(PGA)のお申し出により、半田晴久(深見東州)さんが総裁をつとめる国際スポーツ振興協会(ISPS)では、男子シニアゴルフの3大公式戦の一つとなる、 「PGA・Handa Cup フィランスロピー シニアトーナメント」に、特別協賛する運びとなりました。



日本のゴルフ界に、「社会貢献」という概念を根づかせるためです。この大会は、シニアツアーの史上最高賞金総額、及び史上最高優勝賞金となるものです。そして、フィランスロピー(人類愛)という大会主旨に基づき、賞金の一部は、一人一人のゴルファー が寄付する形で、社会福祉団体に寄付されます。


2009年10月7日水曜日

半田晴久さん@女子シニアゴルフ振興「ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」

半田晴久(深見東州)さんの呼びかけにより、日本の女子シニアゴルフの振興のために、2005年、日本で、米国女子シニアの公式戦を開催しました。もちろん、世界にオープンされた大会です。米国のブラインドゴルフ協会をサポートしている、The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会〔WSGT〕)の協力を得て可能となりました。





2003年、半田晴久さんがリーダーとなっているNPO法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)はで15周年を迎えました。この記念すべき年に、“日本のセント・アンドリュース”と言われる、日本最古のゴルフクラブ神戸ゴルフ倶楽部で、JBGAのブラインドゴルフ大会が開催されたのです。



この年、神戸ゴルフ倶楽部はちょうど100周年でした。このとき半田晴久(深見東州)氏は、神戸ゴルフ倶楽部の方から、「最初の100年はゴルフの普及。次の100年は、ゴルフの社会貢献」ということを聞き、非常に感銘を受けたのです。



それ以来、半田晴久さんは神戸ゴルフ倶楽部のメンバーにもなり、ブラインドゴルフ以外にも、ゴルフの社会貢献の道を模索し始めました。そして、その翌年 (2004年)、稲葉真寿美プロとの出会いがあり、女子シニアは試合に出る機会に恵まれてない、という実状を知ったのです。



50歳でシニアになる男子と違い、女子は45歳でシニアとなります。平均寿命がますます伸びてる現代では、女性が45才でシニア、男性は50才でシニアと いっても、まだまだ若い盛りというプレーヤーも多いものです。しかも、シニアプレーヤーは年々増えていくのです。しかし、男性のシニア公式戦は、日本やアメリカや欧州にもありますが、女子シニアの公式戦は、当時は世界中でアメリカにしかなかったのです。



こうして2005年4月、NPO法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)と、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)、 The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会〔WSGT〕)の三者共催で、「第1回ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」が、日本で開催されました。



翌年、2006年4月には、「第2回ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」が、太平洋クラブ御殿場コースで行われ、再び世界殿堂メンバー達が来日しました。



女子シニアプロのバイタリティあふれる活躍や魅力は、ゴルフの面白さや可能性を広げ、アマチュアゴルファーのやる気や技術の向上にも役立ちます。そして、 これらの大会は、いま活躍している女子プロ達の、将来の受け皿を作るものでもあるのです。








2009年10月6日火曜日

半田晴久さん@海外でのシニアゴルフの振興

半田晴久(深見東州)氏が設立した国際スポーツ振興協会(ISPS)は、The LEGENDS Tourと協力し、2006年11月、オーストラリアで「HANDA AUSTRALIA CUP」を開催しました。



これは、男子シニア、女子シニア、男子ジュニア、女子ジュニアが一緒に、ひとつのタイトルを争う世界初の大会です。シニアは、ジュニアに自らの熟練の技を伝え、ジュニアはシニアのすぐれた技術やゴルフへの姿勢、またマナーや経験智を継承する機会を得、非常に意義深い試合でした。そして、地元のマスコミから も、大変注目されたのです。



これら、世界の女子シニアゴルフへの貢献を評価され、半田晴久(深見東州)さんはThe LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会)のチェアマンに就任しました。日本人の男性が、米国で女子シニア協会のチェアマンになるとは、大変異例で素晴らしい ことです。

2009年10月5日月曜日

半田晴久さん@シニアゴルフの振興とゴルフインストラクターの育成

半田晴久(深見東州)氏は、ゴルフなどのスポーツの社会貢献を目的として、国際スポーツ振興協会(ISPS)を設立されました。



国際スポーツ振興協会では、特に、障害者のためのゴルフやスポーツの振興、またシニアゴルフの振興、ゴルフ・インストラクターの育成などを、積極的に支援しているそうです。



平均寿命がますます伸びてる現代では、男性も女性も、楽しみと生き甲斐をもって人生を豊かにするには、ゴルフは最適なスポーツです。国際スポーツ振興協会 (ISPS)では、男子シニアおよび女子シニアの大会を支援していますが、その大会のプロアマ戦には、必ずブラインドゴルファーを招き、盲目のゴルファー 達に、あこがれの有名選手とプレーできる感動を与えているといいます。こうして、シニアゴルフ全体にスポットを当てていますが、それは同時に、盲目のゴルファー達 に夢と感動を与え、やる気と生きがいを与えるモチベーションにもなっています。



そして、「ゴルフの社会貢献」というテーマを掘り下げると、インストラクターの育成が不可欠となります。そのため、ISPSでは、インストラクターの育成と支援にも力を注いでいるそうです。




2009年10月3日土曜日

半田晴久さん@ブラインドゴルフ(盲人ゴルフ)を始めたきっかけ

 半田晴久(深見東州)さんは、「福祉の原点とは、自己実現のお手伝いです」とおっしゃいます。これは、日本社会福祉学会の会長を4期つとめた、元日本女子大教授の一番ヶ瀬康子先生から次のようなお話を伺ったことがひとつのきっかけとなったそうです。



「民間でやる福祉は、規模も人数も財政も限度があるから、政府がやらないようなユニークなものがいい。小規模でもいいから、今まで誰もやらなかったものをやるほうがいいのです。社会福祉の向上につながるものだからいいのよ。民間で成功した実例があると、はじめて、政府も乗り出すのです。」



その後、半田さんは、西オーストラリア州のパースで、ブラインドゴルフの先駆者であるロン・アンダーソン氏(視覚障害者)と出会い、ゴルフを通じて、彼の人柄やプレーに深い感銘を受けたそうです。



この感動がきっかけとなり、半田さんは、盲人ゴルフ倶楽部を設立し、現在では、日本初の特定非営利活動法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)となっております。


2009年10月1日木曜日

半田晴久(深見東州・戸渡阿見)さん@公式プロフィール

半田晴久(深見東州)さんは、多彩な活動で知られる、「現代のルネッサンスマン」と呼ばれる方です。「21世紀のレオナルド・ダ・ビンチだ」とか「現代の弘法大師だ」とおっしゃる方もいらっしゃるそうです。半田晴久さんの活動は幅広く、芸術家、作家、学者、福祉実践家、教育者、経営者、宗教家など、とても一言では言い尽くせません。各業界に、半田さんのファンがいるようです。



これから、半田さんの信念や活動に関して、語っていきたいと思います。





【半田晴久(深見東州・戸渡阿見) プロフィール】



(公式ページより引用)



同志社大学経済学部卒。武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻卒業。西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。創造芸術学修士( MA )。中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了。文学博士( Ph.D )。 中国国立浙江大学大学院中文学部博士課程修了。文学博士( Ph.D )。 カンボジア大学総長、人間科学部教授。中国国立浙江工商大学日本言語文化学院教授。その他、英国、中国の大学で、客員教授として教鞭をとる。英国国立ロンドン大学東洋アフリカ学院( SOAS ) Honorary Fellow 。その他、西オーストラリア州の州立西オーストラリア大学、州立カーテン工科大学、州立エディスコーエン大学で名誉博士号を授与される。オーストラリアン・オペラ・スタジオ( AOS )設立チェアマン。アジア・エコノミック・フォーラム ファウンダー(創始者)、チェアマン。国立カンボジア平和協力研究所( CICP )副総裁、日本文化・経営研究センター所長。カンボジア王国最高勲章の1つコマンドール友好勲章(外国人に与える最高勲章)を、民間人で初めて授与される。 クメールルージュの犠牲者への救済により、カンボジア政府より福祉分野での国家最高勲章、モニサラポン・テポドン勲章を授与される。 中国合唱事業特別貢献賞、西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞。西オーストラリア州首都パース市、及びスワン市の名誉市民(「 the keys to the City of Perth 」、「 the keys to the City of Swan 」)。紺綬褒章受章。



国内では、財団法人 協和協会理事長、社団法人 日本紅卍字会副会長、特定非営利活動法人 日本ブラインドゴルフ振興協会 名誉会長、国際スポーツ振興協会( ISPS )会長、特定非営利活動法人 世界芸術文化振興協会 会長、特定非営利活動法人 国際縄文学会会長など、公職多数。海外では、英国王立盲人協会 副総裁、世界ブラインドゴルフ協会総裁、 The LEGENDS Tour (米国女子シニアゴルフ協会〔 WSGA 〕)会長、 カンボジアシアヌーク病院 創設者、兼米国公益法人シアヌーク病院副会長、 「未来の光 孤児院」(カンボジア) 会長、梅蘭芳京劇団基金会理事長、北京戯校教育発展基金会会長、インターナショナル・シントウ・ファウンデーション( ISF )代表〔国連経済社会理事会( ECOSOC )認可 NGO 、国連広報局認可 NGO 〕、世界宗教対話開発協会( WFDD )理事、アジア宗教対話開発協会会長(AFDD )などを務めている。比叡山天台宗得度、法名「東州」。臨済宗東福寺、授名「大岳」居士。ワールドメイト、リーダー。



中国国立歌劇舞劇院(オペラ団)正団員、海外芸術顧問。中国合唱協会名誉理事長。中国国家一級声楽家に認定される。北京京劇院正団員、梅蘭芳京劇団団員、中国国立戯曲学院客員教授、中国国家二級京劇俳優に認定される。高校生国際美術展実行委員長、東アジア美術交流祭会長、春風書画展会長、中国国家一級美術師に認定される。宝生流能楽師。社団法人能楽協会会員。宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。その他、茶道師範、華道師範、書道教授者。



株式会社ミスズ代表取締役社長、大学受験予備校「みすず学苑 」学苑長。 株式会社菱法律経済研究所 代表取締役所長(クライアント約 3200 人)。 株式会社たちばな出版 代表取締役社長。 株式会社ジャパンペガサスツアー 代表取締役社長。株式会社武蔵野メディカル代表取締役社長、株式会社アタール代表取締役社長。その他、イギリス、オーストラリアに七社を経営す。



ラジオのパーソナリティーとしても知られ、多くのレギュラー実績がある。現在は、週1本のレギュラー番組「さわやか THIS WAY 」を担当、 22 年間続いている。( FM ・全国ネット 13 局)



趣味はゴルフ、スキー。特にゴルフをこよなく愛し、一生の友としている。ゴルフの社会貢献を常に追求し、ブラインドゴルフやシニアプロの大会、およびゴルフコンペを行うのが、何よりの楽しみである。特定非営利活動法人日本インストラクタープロゴルフ協会( JIPGA )総裁、認定プロ。 FOS ゴルフ指導者協会( FOSG 協会)認定プロフェッショナルゴルフ指導者。著作は、文庫本を入れると 220 冊以上に及ぶ。語学は、英語と中国語と日本語を話す。


半田晴久さん@ブラインドゴルフ(盲人ゴルフ)

半田晴久(深見東州)さんは、20年前の1988年に、日本で最初に盲人ゴルフ倶楽部を設立し、日本に紹介した「日本のブラインドゴルフの父」として知られています。ブラインドゴルフは、ベトナム戦争における、米国の傷痍軍人のメンタル・リカバリーのために始まったものです。



現在では英語圏を中心に、活動は世界に広がっています。日本には、現在100人以上のブラインドゴルファーが育っており、2年に1回、各国持ち回りでワールド・チャンピオンシップが開催されています。



1996年に、日本でワールドチャンピオンシップが開かれ、NHKほか多くのテレビや新聞、雑誌で紹介されました。半田晴久(深見東州)さんが設立し、名誉会長を務める特定非営利活動法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)では、それらを全て主催しています。



支援の輪は世界に広がり、半田さんの呼びかけにより世界盲人ゴル フ協会(IBGA)が、1998年に設立されました。半田さんは、総裁に就任しています。 また2006年のブラインドゴルフ・ワールド・チャンピオンシップは、再び日本で開催されました。このように、日本と世界で、20年間もブラインドゴルフを支援しておられます。